それがせの りさいくる・びん(ゴミ日記帳)
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[ 実益はある程度無視 ]
風邪は何とか回復しました
しかし 今回はしんどかった


Dana(テキストエディタ)の改造(ってよりか設定の変更)を行っていたら 何故か[Del]が変な動作に変わってしまって ああ もぉ設定をやり直しかよぉ〜〜なんて凹んでいたら なんとか復活しました
なるほど こうやって設定を戻すしか方法が無いのね(苦笑)


久しぶりにIBM-PC/AT互換機互換ネタでも
Intelは兎も角として 最近はVIAやSiS等の互換Chipsetメーカの頑張りが凄いですね
IntelがRambusとの関係でモタモタしている時に PC2700,V-Link533MByte/s(マジですか??),AGPx8等で先行逃げ切りを行う模様みたいですね
あんなに文句を言われていたApolloKT266も RevisionUP版ApolloKT266Aで名誉挽回しましたし それに負けじとSiSもSiS735からSiS745でPerformance向上をさせる模様ですからね
(個人的体感では同一CPUではKT266CPUもクソ高いPentium4よりも AthlonXPの方が実質的な体感速度は速いのも事実ですしねぇ(Photoshopユーザは除くぐらいかな??)
まぁ互換性の問題は残っているのも事実で (ごにょごにょ)が(ごにょごにょ)な部分も存在するのも正直な所です
特にVIA/SiS共にUSB関連の問題が大きいのは 隠しようの無い事実ですから ここの部分を挽回してくれるのを期待しているのですがねぇ
しかし 互換ChipsetはIntelChipsetと比較しても かなり安い
VIAとかはPentium2/3の頃 440BXとピンアサインが互換なモノを出してなんとかシュアを取ろうと頑張っていた頃が懐かしくも感じますね
"安い"・"速い"・"組みやすい"そして"売りやすい"
コレが互換Chipsetの仕組まれた宿命なのです

でも まだオイラは互換Chipsetは人には勧められないのも正直な所です
オイラみたいなガイキチ人間は ダメなのを承知で初物ApolloKT266を購入して 早速 ダメ加減(某有名ボードが動かない!!)を実感して "まぁどぉせBIOSのUPで直るだろ"(事実直った)と諦めが利く部分も有るのですが 人に勧めるにはある程度の"信用"ってモノが付きまとうものですから 下手に"互換性が有るから問題ないよ"なぁんて言えないしね
趣味の部分と実用的な部分って相反するからなぁ・・・・・・・
マイナートラブルというホールに嵌ってしまうと 人間的信用すら消えてしまう危険性があるからねぇ(それが恐怖な程)
そんなコトもあり オイラは余程のことが無い限り ショップブランドすらオススメはしないです
あくまでも 互換Chipsetの存在は趣味
互換チップセットの宿命とは異なる方法で日本のビジネスとして進んでいる姿に ある意味 哀悼を感じるトコロで
2001/11/30(Fri)


[ なんかだめかも ]
熱が下がらない・・・・・・・
セキは止まりましたけどね
2001/11/29(Thr)


[ げほげほげ・・・・ ]
風邪引きました・・・・(またかよ>神の声)
2001/11/28(Wed)


[ 楽しもうぜ ]
昨日から今日に渡って Cagiva V-Raptor/Raptorのオーナージクラブの方々とお会いしました(WebSiteは現在移転中なのでリンクは避けます)
まぁDucatiに乗っているオイラが顔を出すのは まぁ ちょっとって気がするのですが V-Raptor650が7〜8月に出ていたら 確実に購入していた人間としてはねぇ(笑)
ココでは書き込んでいないのですが 西湘バイパスの国府津PAで休憩していたときに思わず声を掛けてしまった頃からのおつきあい(って程でもないな)
あ Raptor/V-Raptorの1000cc版は既に昨年の春頃に発売しています(日本で100台ほどかな??)
650cc版は発売する発売するって言ってから もぉ2年が経過しているみたいですけどねぇ・・・・いったいどうなんでしょうか??
ユーザーの方が少ない車種なので 和気藹々と情報交換していました(っつ〜〜とDocati乗りの方がいがみ合う部分も・・・・ごほごほごほ)
タンクカバー&タンクバック一体型(分離可能)の輸入を行っているBAGSTERの営業の方もいらしたので お話したかったのですが まぁ 人数が多かったので ちょっとお話できなかったのが残念
あとは首都高で・・・・・・まったりじゃないよぉ(泣)
皆さん 飛ばす飛ばす
はぁ 精進しなくちゃねぇ


携帯電話が壊れました
時計が狂うといったマイナートラブルです
数日前から現象が発生していたのですが 通話は出来るしまぁいいやって思っていましたが 考えてみると オイラは携帯電話が目覚まし時計代わりにしていたので 連休中に直さないとなと思った次第です
んで 修理の為に町田までGo〜〜え??相模原??いや まぁ 移転を繰り返すドコモショップの場所が判らなかったんで 移転していない町田まで行っちゃえ!!で・・・・・
どぉも時計が狂うばかりでなく 電源を落とすと情報ががクリアされる・電源投入が出来ない場合があるといった思った以上に深刻な状況下みたいでした
んで PCにメモリが何故かダウンロードできず 四苦八苦した模様ですが 直接 2台を接続することによりダウンロードが可能でほっと一息
でもでもでも コレで半日潰れました(苦笑)
新品の携帯電話はやっぱり気持ちがいいですね


行きつけのDucati販売店がついに正規にDucatiショップとしてリニューアル(なのか?)となるのでご案内が届きました(もぉバレバレ)
しっかし 購入したての人間に"新装開店キャンペーンで成約するとオイル5万円相当無料キャンペーン"のチラシを封入されてもねぇ(苦笑)
確かに魅力的なんだけど 既存の客に対してもぉちょっとサービスしてよんって気もちらほらとするんだけど・・・・・
オイル1リットル無料とかさぁ
(補足:Ducati推奨オイルは1リットル\3,900-といった非常に高価な代物で オイラが乗っているMonster750キャブレタモデルは2,500〜3,000kmでの交換だからもぉ・・・・1回のオイル交換で約\15,000-気が遠くなります)
あ オイラのDucatiページ とらぶる・おぷしょんの部分を更新しなくちゃ


何かと話題(になっていない気もするが)Rez-DreamcastVersionを購入しました
システム的には自機移動が出来ない"Raycrysis"+"宇宙戦艦ゴモラ"デスな
う〜〜ん 現状では全体的な完成度がイマイチだなって気がしますね
感覚的に気持ち良いシステムの構築だけど コレはSegaの社会的(社内的??)なシステムとしての限界として無理じゃないかななんて思っていたんですけど まぁ 正解ってコトで
まぁ 単純に言うと 世界観の構築とかそういったのはまぁ OKとします(Raycrysisのパクリだけどさ)
何と言うのかねぇ ほら 昔 あったじゃない
KONAMIがまだMSXで頑張っていた頃 "ThunderCross"の移植がどぉしても出来なくて MSX2/2+で出した"SpaceManbow"
そんな感じ(凄い判りにくい例えを出すな>神の声)
技術的に問題が有るかといっても全然問題ない(30fpsでも問題ないよ〜〜あのCGでDreamcastで60fps出せなかったのは商売的な意味があると邪推するが)
サウンドがイマイチハマれないてのも まぁ苦しいかも知れないが コレとゲーム性はまぁあんまり関係ない部分が存在するのでパス
ゲーム的なコンセプトも理解は出来る
でもさ でもさ
シューティングのナニを目的としたコトなのかが理解できないんだよね
ロックオンシステムなんだけど このカーソルの移動速度が異様なまでにダルいのが1つめの要因
コレはアーケードの移植なら問題無かったかも知れない
コンシューマ専用なら Configでカーソルの移動速度ぐらい自分で調整を行いたかったよ
コレを付けなかった理由は十分なほど判る
2つ目は 敵の出現パターン及び攻撃が全くといって良いほど洗練されていない
特にStage3のボス
レーザ砲の判定の意味(どれが自分にHitしてどれがHitしないか)が異様なまでに判りにくい
っつ〜〜か コレ もしかして 全部覚える必要が有るんですか??

そんなのは感覚で楽しむゲームじゃねぇよ


コレはガチガチの覚えゲームじゃないの??
現状ではそう考えるしかないんだよねぇ
2001/11/24(Sat)


[ ]
相変わらず モチベーションが上がらないから放置プレイ状況でした
ダメなコトとは理解しているのですが コレもまたねぇ
相変わらず 腰の調子はあんまりよくないのですが なんとか歩行が苦痛にならない程度まで回復してきました
正直な所 ネタ切れってのが一番多い要因なのですが・・・・・


自分が何も言わないからって あんまり調子に乗るのはやめようね
顔で笑って心で泣いているんだから
正直言って 自戒を含むんだけどねぇ・・・・・・


不謹慎なコトを承知して書くのだけど 表現を行うのは限界ってのがあるんですよ
だから あらゆる"芸術(この表現は嫌いなのだが)"と言う名の表現方法があるんです
なんというのかねぇ コレを理解できているのか理解できていないのか 判らないんだよなぁって人間が多いのは霹靂するんですよね
別にオイラは芸術を気取る訳でも 評論家(コレも嫌いだ)を気取るないんだけど イヤだったりします
所詮学の無い人間だしな>自分
あ どぉせ高学歴の人間からは お決まりのお言葉"学歴コンプレックス"の声が響き渡るわ〜〜(ひがみ根性全開だのぉ>神の声)
まぁ ナニが言いたいかというと 人類社会学とか比較分類学とかさぁ 思想的に甘くてね 殆ど信用できなくなったってコト
所詮 "社会"から脱却しなければならないのに 社会として組み込まれた世界にいるコトを"脱却"したって意味が通じないんだよね
根本的に存在する 自らの環境にある"社会"は否定できないのは 当然なんだよね
コレは誰でも判ること
だけど "自分は彼らとは違うぜ"なんて断言できるの??
つまり コレは"断言した状況下"と仮定した状況下(判りにくいな)を 自分の中に存在する"普遍"を基準とした価値観であるってコトを何故認めることが出来ないんだろうか??
え?? まだ判らない??
単純なコトなんだけどね
所詮は単なる興味の範疇を超えるコトがどうやって出来るのか??なんだよね
まぁ 確かにコレを理解しているヒトはいると思うんだよね
でもさ コレを完璧に理解してしまうと 比較分類学自体が空虚なものになってしまうってコトだと思うんだよね
つまり 比較分類学を持ち出して 表現の批評を行う学者サマがいるじゃない
それがさ 結局は空虚なモノになっているってコトを自分が理解できていないようじゃ まだまだ"おべんきょう"が足りないってコトなんだよね


実は上の文 1週間ばかし放置していて 無茶苦茶なオチを付けてしまったかも知れないんだよなぁ(事実としてオチていないだろう>神の声)
正直な所 学問ってのは非常に奥が深すぎる為 中途半端な解釈を行う時点で崩壊してしまうのがあるんだけどねぇ
かといって 非常に当り前のことなんだけどさ 1つの"学問"で完結するのではなくて あらゆる"学問"と密接に結びつくと あらゆる"矛盾"が生まれてくるんだよね
単純にオイラは"Real(リアル)"ってコトを突き詰めていきたい欲望があるんだけど 正直言って 理解するのが怖い側面もある
そう "Real"の極は・・・・・・ココでは何も言いたくない
2001/11/23(Fri)


[ 腰が痛いから遊びに行けないのが理由 ]
平沢進氏の"SOLAR LAY"を購入
P-MODEL時代のRemixなのではっきり言って全く期待していませんでした(苦笑)
確かにRemix自体は冒険をあんまりしていないので あんまりそぉいった意味合いではいい仕事していませんが(コラコラコラ) 凄いCDですわ
始めはミニミニコン+SENNHEISER HD545(生産完了品)で聴いた・・・いや聴き流していたってのが明確なんだけど・・・なんか普通かな??なんて思って放置Playしていたのです
そして今日あたりCEC PDA-655(生産完了品)+Triode VP-Head(生産完了品)+SENNHEISER HD-600聴いてみると いや まぁ コレが凄いのよ
なんていったって 分解度が異様なまでに高く 音の一音一音が見事にきちんと主張しているんです
単に主張していると全体的に濁ってしまって 頭痛になってしまうのですが コレは全然違いますよ ダンナ!!
確かに ダイナミック型ヘッドフォンの最高峰で音の分解度はコンデンサ方と比較しても引けを取らないと言われているSENNHEISER HD-600で 編集には力の入る平沢氏なのですが コレはソレを超越しているといっても過言ではありません
平沢氏が熱烈的なSENNHEISERマニアなので Remixの調整もSENNHEISERで行っていると推測されるから ドンピシャなのかも知れませんけどねぇ
CDの20,000Hzという限界値の中で ギリギリまでに情報量を詰めてミキシングしているキチントしたお仕事をしている 正に職人芸CDといえるモノではないでしょうか
2001/11/08(Thr)


[ 秋葉原ならでは ]
誰か挑戦するヤツはいないのか??(苦笑)
http://203.174.72.113/asa-p/mi-ch/gazo/2001-11-04caraf/md.jpg
しっかし 写真撮影OKってアンタ・・・・・・・・・・
あ 一応 念の為ですけど 一人では絶対行きたくありませんし オイラ 酒も飲めない状況下なので 誰か 自爆相手募集
でもでも 昼間ランチ営業時間帯だと 近くの会社のサラリーマンやOLが入ってきて 異様なまでに気まずくなるかもしれないなぁ
まぁ ネタってコトで
2001/11/07(Wed)


[ りさいくるびん or ぐらふてぃ ]
なぁんか10月は放置Playするにも 酷すぎる気がするのですが まぁ 気にしないで行きましょう(だから貴様はダメなんだよ>神の声)


えっと 11/3,4と母校(なのかな??)の学園祭がありまして まぁ 顔を出したのですが 雨の中 タイルで靴が滑ってしまい 腰を強打してしまい 本気で腰が痛くなってしまい エアサロンパスで中和させて 鎮痛剤で痛みを誤魔化しているといった状況だったりします
いや まぁ 座っているとか立っている状況では殆ど痛みは無いのですが 歩くのと バイクに跨る状況が非常に辛いのが非常に苦しいですね
寝返りも打てないでしゅよ(苦笑)
オイラは どぉも 雨の状況下だと非常にツイていない状況下が多いなぁ
結局 (どんな事にせよ)起きてしまったコトに文句を言うのは本心ではないんだけどね


ゴーマニズム宣言・戦争論2(幻冬社・小林よしのり著)を購入
氏の作品は"表現を行う方法"に関しては 他の漫画家の一歩先を行くコトは紛れも無い事実で だからこそ 当たる(売れる)か失敗する(売れない)バクチ漫画家ですが 本作は 正直な所 "表現を行う方法"に関して 退化しているなと
読み比べると判りますが 戦争論1と比較しても大ゴマの多用が目に付きます
まぁ 大ゴマの多用=手抜きという論法は まぁ 間違えがあんまり無いんだけど(苦笑) 効果的な大ゴマの使用を間違えています
前にも(柳沢きみお氏の"大市民][,2巻"ネタの部分)書きましたが ページ数の制約が多い雑誌連載と比較すると 書き下ろしの単行本は制約が(比較的)少ないのですが ページ数の少なさが読み手をダレさせない効果的な作品の構築が可能なのと 編集者によるネームチェックが厳しい部分で効をなす部分が存在します
つまり 雑誌連載作家が連載途中で書き下ろし単行本を書くのは非常に難しく 大抵の場合が作品として失敗する場合が多いのです
(もう一つのパターンとして 連載の作品パターンから本人が脱却できずに 書き下ろしの単行本の世界観が縛られてしまう・ページ配分等のリズムが掴め無い等 読みにくくなる場合も存在します)
まぁ 氏の作品(主にゴーマニズム宣言)読んでいる方にとっては 単に非常に散漫だったで終わる話ではないのです
特に"戦争論1"が(後半一部を除いて)効果的なページ配分・構成を行っていたので 氏の主張が"非常に理解しやすい"傾向にあったのですが "戦争論2"は大ゴマをあまりにも続発させた影響もあり "主張"が連発している為に感覚自体が"麻痺"してしまい "読みダレ"が発生してしまう そして あのページ数の多さで書籍の"麻痺"を直す つまり"放棄"("放置"が正しいかな??)するコトを選択してしまうのではないかと

氏が良くゴーマニズム宣言の読者の知的レベルの高さを "大学生でも理解できない人間が居る"そして"小・中学生でも理解できる人間が居る"と描いているけど う〜〜 ソレは正直言って違うんじゃないかなぁと思うんですよね
単純に論説調の文章を読み慣れていない つまり"感覚が無い"状況下にあるだけじゃないかと思うんですけどね
論説調の文章は文学とは大きく異なり オイラとしてはマンガに非常に近いと考えています(もぉコレで理解できますよね)
特に純文学系がソレに該当するので "感覚が無い"状況下で"ゴーマニズム宣言"を読んでも"刺激"を受け付けるコトが非常に難しいのではないかと思うのですよ

えっと 話が脱線気味なので元に戻します
前述の"麻痺"部分と またた多くの方が指摘する部分である"戦争論1/連載分と重複する個所が多い"が合わさってしまい 相乗効果による"ダレ"が厳しいものに仕上がっています
実は 氏もコレを感覚として読み取っており 雑誌連載では"読み応えがある作品に仕上がっているので この本(戦争論2)を読みきれるかな??"等と挑戦的な態度をとっています
まぁ この挑戦的な態度は無視して(苦笑) 実際の所 "ダレ易い"を"読み応え"と自己美化してしまっているんですよ
"ダレ易い"と"読み応え"は一見相反しているのですが 非常に近い所に存在するんです
本気で"読み応え"のある作品は 実際の所は"読み応え"なぁんて感じないのですから
寝食を忘れて読み更けた本を"ああ 読み応えが有ったのぉ"なんて思いますか??
いや 思わないでしょう
オイラの読み応えのある作品の目安としては"記憶に残るか"だったりします

何故 この様な作品になったのかは ある意味 非常に簡単だったりします


"戦争論2"は "ゴーマニズム宣言"では無いからです


本来 "ゴーマニズム宣言"は AといったコトでBというゴーマンを作者が不特定多数の読者に対して提示する意義を持っているのです
不特定多数の読者はBというゴーマンの収拾選択の自由が存在します
しかし"戦争論2"は Bというゴーマンを主に不特定多数の読者に向けている訳ではないのです
何故なのでしょうか??
"戦争論1"で 読者に向けているBというゴーマンは完結している為です
そう "戦争論2"は"戦争論1"で完結したBというゴーマンを正常進化 つまりB'ゴーマンにする訳でも無い為です
ココでB'ゴーマンにしようと氏が考えていたのであるならば この本の評価は大きく異なっています
何故 Bというゴーマンを"戦争論2"で使用しなければならなかったのか
それは "戦争論1"で提示したBゴーマンを批判する人間・団体に示したかった つまり "不特定多数"の読者は置いてきぼりな "イデオロギー"と言う名の"私怨"に突入しているからです
そう "特定多数"の人間に効果のある"表現"を使用した"作品"を作成せざるを得ない状況下に陥った(!!)氏は "不特定多数"の読者の期待を裏切ったと言っても過言では有りません














っつ〜〜か 実際の所 自分の命題として存在する"表現とは何ぞや??"ってコトに通じてしまうんだよね コレって
正直言って コレを公開するのは自分にとっても非常に"痛い"んですよ
まぁ 自己批判も含んでいますしねぇ(苦笑)
とりあえず "表現"という行為を知る事によって"表現"を行う資格が有るのではないかまでは 理解はしているんですけどね
所詮 自分がココで書いているコトは"Graffiti(便所のラクガキ)"以外の何物でもないしねぇ・・・・・・は言いすぎかなぁ??
2001/11/04(Sun)

My Diary Version 1.21
[ 管理者:それがせ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]